全員が全員とは言いませんが、マスコミはダメだ。これからは俺たちが何とかマスコミと肩を並べる報道組織にならないと!という考えが根底に流れていた気がしますが、気のせいだったんでしょうか。誉めて人気が取れるなら誉め、叩いて人気が出るから叩く。オタクにとってそんな物差しは違うんじゃないかと思ってここまで来ましたが、都合のいい提灯記事で喜ぶような旧態依然とした人の子だったんでしょうか。
以前から「社会のクズで掃き溜めにやって来ざるを得なかったダメオタ」の料理をどうするか。これについては何度か問題提起させていただいております。 そしてまた、「オタク趣味や文化とは、吹き溜まりではない」とも。こちらはあまりクローズアップしてなかったかもしれません。
ダメオタがやって来るから最底辺の趣味、文化だとは私は思いません。
ですから、ダメオタが好き勝手出来る運動場じゃないぞと。そこには秩序があって、共生関係が出来て然るべき。自分の世界、個人の所有物ではない。
【転載につき追記部】
だから皆で至らない部分は治していきましょうと述べてきたんですが、至らない部分は無いという結論でしょうか。また書くかもしれませんが、コミケホームレスが今年も居ました。夜中に大雨の中、盆休みで店を閉めている計器店や印刷所の軒下で数名で寝ているんです。これはオタクではない、無関係だと?私はそうは思えません。この問題は私自身の問題に思えるんです。オタクが気に入らなくなったから批判的な論壇に転身したなんて心外です。…長くなりそうなのでこの辺で止めますけども。
【終】
だからといって、高尚で至高の文化とも思わない。また、オタク文化の担い手が高度な存在だなんて戯言も支持しない。そもそも、オタク文化の担い手とは誰なのか?我々なんでしょうか?我々はただ搾取されるだけの存在であって、その本質に気付くまいと「文化の担い手」を気取っているだけでは?
こう書くと、スグに反例を挙げたがる方が居ますが、反例についても重々承知の上です。ネット上の言語や祭から生まれる副産物などは、我々が文化の担い手でもあることを示しています。では、その例を捕まえて、我々は文化の担い手で高尚な存在だと言ってもいいものか。祭はしばしば暴走します。アイドルや著名人、アスリートなどの私生活を暴いたり、当人を知らずにイメージだけで人間性を推し量ったり。それだけではありませんよね。祭の良い部分はオタク文化で、それ以外は一般人のやったことだ…なんて責任放棄をするならば、最初からネットはオタク文化ではないと決めないといけない。
まあ、既にネット=オタク文化とは言えない利用者の数ですけどね。アングラと地表の線引きをしたところで、現在の一般人には理解できないでしょうし。それを理解してもらおうと尽力するのも一つの趣向ではありますが。
子供は可愛がるだけでは立派に育たないのと同じで、締めるべきところは締める。
誉めていれば、仮想敵を作れば、面白おかしく物が書け、より簡単に認められるのは分かっています。ですが、アングラな人間(オタク)はそれを望むべきでしょうか。マスコミなどの商業的手法の代表格、提灯記事、マンセー記事、思想的な非難。
私は以前からこう述べさせていただいています。下流文化の担い手たる自負があるならば、かつての手法に囚われない理性的な情報処理が出来て欲しい。気に入らない表記の部分だけ切り取って、大局を見失うのでは情報に踊らされる「大衆」と同じこと。他とは違う、私は先鋭的な人間だ。そう思うなら、オタクはもう少し視野を広げた方がいいですね。