日本では、洋ゲーと呼ばれるタイプのゲームは売れません。それは、日本メーカーの落ち度でもあると思います。海外メーカーは海外市場を中心に展開するので、日本に向けて開発することなど無いと言っていいわけでして。洋ゲーには日本には無い斬新さがある場合も多い。にもかかわらず売れない。知名度もさることながら、硬直化した市場を作った日本メーカーの責任でもある。
はい、トンチンカンな事を言っていると思われたでしょう。そうなるように書きましたのでね。
洋ゲーが売れるように日本のメーカーが頑張れ。って何を言ってんだ?と思うのが正常でしょう。
しかし、この記事は、他所のソフトが売れるように頑張れという意味ではないのがポイントでして。
完全新作や日本に浸透していないジャンルのゲームが売れる下地を作れ
と言いたいわけです。はい。
スクエニはUBIと契約し、国内でのUBIのソフトの流通を請け負いました。
スクエニのロゴが入ったり、スクエニが代理でCMを流せば、ブランド信奉大国ニッポンのニッポンジンは喜んで飛びつくかも知れない。そうすれば、海外のゲーム、完全新作、見慣れないジャンルへのハードルが草の根的に下がってくるのではないか。ナンバリングタイトルしか売れない臨終目前の頑固ジジイのような市場にした責任を国内のメーカーは取らされているわけですが、取った結果としてメーカーが死んでしまったのではお話にならない。何かしらのカンフル剤が欲しい。
海外の製品の流通だけ国内メーカーがやるってのは一番簡単ですが、あまり効果は無いかもしれない。
そこで、海外のゲームに習ったキャラゲーを「真剣に」作ってみてはどうだろうか。
フェイブル2という極めて自由度の高いRPGがある。海外でも人気で、その自由度を賞賛する声も多く聞かれる。
自由度とは粗野で野放図なゲームではなく、縛られている事にプレイヤーが気付かない程細い糸で縛り、ストレスの無いゲームを指すもので、指示待ち人間の多い日本人には馴染みが無いかもしれないが、今後はこういった次世代の大容量に対応したゲームに慣れていって貰わなければ困るのである。昔のように限られた表現や容量の中でやりくりした方が良いゲームを作るのが日本人らしいが、時代は流れた。いつまでも過去の遺物にすがっていると、今以上に市場が硬直化してしまう。クリエイターもプレイヤーもこういうゲームが遊べるよう、変わらなければならないのではないか。
しかし、いきなりフェイブルを遊んでくれと言って、遊ぶ人間が居ないことは二十余年生きてきて分かっているので、少し頭を捻ってみた。まあ、誰でも思いつくような事ですが。
『世紀末救世主伝説 LIVE』
これをやろうではないか。ガンホーがやってたような気がするが気にしない。
今の海外のCG技術なら、極めてリアルな世紀末の男達を作り上げられるのではないか。
世紀末だけに、自由。力だけが正義。徒党を組んで暴れるも良し、街の復興の為に尽力するも良し。
オンライン上の仮想空間でリアルタイムで変化していく情勢に対応しなければならない廃人育成キャラゲー。
版権ものなら自由度が高く、知らないジャンルでもとっつき易いのではないだろうか。
モヒカンになって、ラオウやケンシロウに戦いを挑むなんてのもいいし、拳王軍に属しても良い。
オンライン上では日夜攻防戦が行われ、勝った勢力が陣地を広げていく。
その情勢が逐一アップロードされ、次にどの村を襲撃するかなどをパーティーの人間と話し合ったり出来る。
そんなアクションRPGはどうか。当然、悪役プレイをしていると、ゲームマスターである正義の味方達に命を狙われはするが、農耕や牧畜といった地味な作業プレイをせずに済むという利点があったり、特定勢力(モヒカンならモヒカン)が力をつけすぎると、バランスを取るために正義側にGMが救世主として介入してくるなどのキメの細かいサービスが提供されれば、オンラインゲームを知らない人にその面白さを理解させられるのではなかろうか。
こういう海外が得意とするジャンルをキャラゲー化して、日本に新しいジャンルが根付く下地を作っていかなければ、そう遠くない未来、日本のゲーム産業は消滅する気がしてならない。
10年ほど前に感じたゲームの未来は明るい!という個人的な感動から一転。
ここまで悲観的にならなくてはいけなくなったことに驚きを隠せない。
サクラ大戦のアクションゲームが出るだの何だのと、林原めぐみのHeartful Stationのセガコーナーで聞き、目を輝かせながら手紙職人をやっていた時期。ザ・プレやドリームキャストマガジンで頑張っていた時期。あの頃は日本のゲームの成熟期だったように思う。実に色めき立っていた。
サクラ大戦のアクションゲームはやりたかったねえ。今なら3D化した光武で戦略シミュ&アクションとか、TPS(サードパーソンシューティング)的なゲームを出せそうなのに。カンナで相手をタコ殴りにしたり、マリアでカバーから射撃したりしたかった。
まあ、シリーズを殺し、完全新作を作るという流れから考えれば、サクラ大戦は終わるべくして終わったのかもしれないが(経営的にも)、前作のシステムを踏襲して継ぎ足し継ぎ足しでナンバリングソフトを出していくというのはいつかは手詰まりになる。何より、数字が付いていると、前作を遊んでない人が手にとってくれなくなる。今の日本がまさにそれで、数字があるから買わないし、数字がないと買わない。まるでスタグフレーションのような、ねじれ状態。
オンラインで協力プレイが出来る時代です。旧作にオンラインという新しい命を吹き込むのでも構いません。今まで通りの遊び方という既成概念を打ち壊していく姿勢が大切です。倒れる時は前のめり。バカゲーでも、クソゲーでも、バグゲーでもいい。製作者が爆死覚悟で踏み出した功績に対して金を出す。ビビッて作ったゲームに斬新さや面白みなどあるはずがない。例えそれが万人から見て地雷だったとしても、気持ちよく踏み抜こう。それが私の流儀だし、ゲーマーとしての礼儀ではないだろうか。
私は、前に倒れるゲームは買うが、後ろに倒れるゲームは幾ら財布に余裕があっても買いたくない。