規制が活発化しているので、それらの雑感を。エロゲー、陵辱ゲー規制が強化されそうです。確かに、人体を破壊して、それを味わうとかいうゲームの擁護は難しいかもしれませんが、性的コンテンツ規制の足がかりとしてエロゲー(ゲーム+エロ)を潰すというのは見逃せませんね。
◆エロゲー規制
何でゲームだけ「レイプ」を規制するのか。AV、文学作品、ピンク映画も規制しろよ。
で、そういうのに触れた大人も全規制だ。
ハッキリ言って、そんなに総武線と埼京線を痴漢だらけにしたいのかと。
男と言う生き物を分かってない。性欲は人によって最も差がある原始的な欲求で、最大で1000倍の差があるとも言われます。よって、性欲が強い人間は性的欲求に耐え難い。これはもう精神的なものというよりも、生まれ持った部分ですから、仕方ない。先天的に異常(動物界では正常どころか極上)な人間なんですから、この人達をどう受け流していくかが課題となるべきではないのか。
性的欲求がどれだけ人の行動を制約するか、多くの人は知っているハズです。
貴方の何十倍、何百倍も性欲が強い人が居たとして、貴方はその人が性欲の軍門に下る事を咎めることが出来ますか?少なくとも私は「犯罪行為」は憎めど、先天異常的なその本人を憎む気にはなれません。
性欲は処理しなければ日常生活に支障をきたす人も少なからず居るわけで、
どこかに捌け口を求めなければならない。識者や学者は、まるで自分が有徳の人間で、性欲が有る、性的な作品を嗜むと言う人間を悪徳の人間であるかのように遠ざけ、精査もせずに社会から切り出そうとしています。「性」について真剣に考えたことも無い人間が規制を声高に叫び、センモンカ等と言ってのさばっているのが現状です。
そんな彼らにとって、「性の捌け口」の必要性などというテーマは人生の中で思いつかないか、考えてはいけない命題なんでしょう。私はそんな体面だけを気にして、取り繕った小奇麗さを求めませんから、この忌避されるテーマに堂々と取り組みたいと考えております。
捌け口が無ければどうなるか。ストレスを発散する場所が無ければ、今以上にうつ病患者は増えるでしょう。趣味を持て、家族を作れ、ペットを飼え…色々なハウツー本があり、それらは趣味の素晴らしさや、心の病に取り組む団体を紹介しています。
ではなぜ、性欲の捌け口だけ社会から抹殺しようとするのか。人間機能は過ちか?
子供と言うのは神からの授かり物であって、それを勝手に処分(中絶)する事は許されないとか、人間が性行為でもって子供を作っているわけではないとか、人間を禽獣とは違う優れた存在のように扱う思想は、どこぞの宗教の考え方であって、人間がサルから進化した事を否定して廻っている集団の論理でしかない。
人もまた動物である事は、今の日本では一般常識であるのに、何故、動物がやってきた事を禁止し、見てみぬふりをしたがるのか。社会を形成する上で、そこらじゅうで性行為をされたのでは確かに大問題だから、性的な機能を抑制することは仕方なくても、性を否定するのは種と進化と自身の否定ではないのか。
小難しく、しかもまとまらない事を言いましたが、つまりは、
「溜めた分はどこかに捨てなきゃいけない」
ということです。社会での生産的な活動の為に抑制した分は、どこかで辻褄を合わせる必要がある。
では、どこでその辻褄合わせをするのか?その辻褄コンテンツを提供するのが「性産業」であるわけです。
確かに、大っぴらにする必要はありませんが、辻褄を合わせる道具が無くなれば、
今度は別の代替物が必要になります。元々、「異性を捕まえて性行為をそこら辺でする」という代替物として週刊誌が活用され(おかげで性犯罪が激減した)、VHSデッキが飛ぶように売れたわけで、人間としての尊厳確保と生産活動、社会運営の為に「本物の異性」と取って代わった物を今また取り上げるとなると、結果は自ずと見えてくると思うのですが。
喫煙者が禁煙用ガムを噛むのと同じで、我々は過ちを犯さない為に性的コンテンツを消費する。
今、禁煙用ガムを取り上げられたら、再度喫煙に走ると思いませんか?
性的コンテンツというのは、根源的な欲望を抑える唯一の存在であり、タバコがダメならガムで、コーヒーで、ハッカパイポで…我慢するというわけにはいかないのです。運動で代替しようとしても失敗するのは、各地の健康的な肉体を養っているはずの体育会系の学生が起こす集団レイプ事件を見れば分かることです。(陵辱ゲームをやっているオタク集団が集団でレイプしたなんて事件、過去に1度もないでしょう?)
何をやっても溜まるんです。急場を凌げても、いつかは処理が必要になってくる。
規制派の皆さんは、そんなに人生をメチャクチャにされる女性を増やしたいんでしょうか?
性的コンテンツが規制され、強姦が増えても、私は強姦魔を憎む事はおそらく無いでしょう。
それは、社会のシステムが選び取った結果なのですから。多くの国民が容認した結果です。
性を否定するなら、全ての人間の生殖器を生まれた段階で処分すればいい。
去勢すれば、オスは大人しくなるもんです。
全て体外受精で育て、試験管ベビーを親元に届けるシステムにすればいい。
そうすれば、レイプは無くなり、性的なコンテンツも処分でき、妊娠中絶問題も解決する。お腹を痛めなくていいから、社会の生産活動は減退しないし、待機児童問題も解決(6歳くらいまで培養すれば完璧)。経済力さえあれば幾らでも子供を作れるから人口問題は解決するし、増えすぎるようなら試験管ベビーを生産調整すればいい。
障害を持って生まれる子供は激減するだろうし、競走馬のようにインブリードとかニックスとかを考える配合理論をスーパーコンピューターではじき出して種付けしたりするシステムにすれば、優れた子供を作れるパートナーを一発で検索できる。
ああ、素晴らしき無性社会。皮肉ではありません。やるならここまでやれと言っているのです。
しかし、こう書くと多くの人は言うでしょう。
「生まれ持った人間の体を何だと思っている!」と。
その通りです。所詮動物の私達が毎日服を着て、満員電車で学校や会社に行き、ストレスに耐える。
これも生まれ持った体に相当の負担をかけているのに、今度は性機能を否定している。
「生まれ持った人間の体」って何だ。能力って何か。
子を作り、次代に種を残すことじゃなかったか?
それを汚らわしい行為だなんて、西洋かぶれもいい加減にして欲しい。
哲学もしかり、輸入学問や輸入思想を崇める自称識者は、知識が足りてない。
総合的、包括的な判断ってのをして欲しいところです。
売名や金が付くからと、叩き易い「ゲーム」と「性」の2枚看板を狙い打ったのでしょうが、
安直な金儲けや人気取りには穴がある。あんたら規制派が思いつける程度の規制など、
たかだか知れてる。そんなのは、犯罪の病理を真剣に考えている連中が遥か過去に通った道。
彼らには自分の無能と未熟さを露呈しているだけだと伝えてあげたいですね。