編集者は金持ちなんだろ?このクソヤロウ!という価値観がなぜ蔓延しているのか?という事に対する個人的な妄想です。読まれていない方はpart1はこちらからです。
出版社の編集者になるという地獄の関門を潜り抜けたらば、その先にあるのは桃源郷どころか黄泉の国。通り抜けたのは黄泉の門だったと。懸命にすり抜けて、あくせく働いて、もらえる給料が少々高い。不満を言われるほど法外と言うものでも無いと自分は思う。
自分は夢敗れて散っていった人間を沢山見ているし、社会的に価値のある本を提供したいというナントモカッチョイイ戯言を胸に抱いておるので給料がどうこうなんて今のところ思いませんが、多くの編集者もきっとそういう理想の為に命を削ってるんでしょう。じゃないとこの仕事は出来ませんよ。
出版業界を目指している人はもう一度考え直して欲しい。
「カッコイイから」「儲かるから」「夢だから」
とか言っちゃう人は(通らないんですが)辞めた方が良い。
生半可な気持ちで受けると、プライドがズタズタにされて後の就職戦線に大打撃になります。私はそれで心を折られ、拾ってくれない社会が悪いと言うお仕事についた方(自宅警備員)を知っております。まあ、出版社に通らないなら就職しないという覚悟は立派です。私もそう思っておりました。が、それはどうかしている人の思考です。殆どの人は妥協するんですから。私の真似なんてしないで下さい。
かく言う私も相当叩かれましたが、幸いプライドも何も持ってなかったので廃人にはならずに済みました。甘酸っぱい理想と強欲ではとても乗り切れませんから、人事の人もその辺りをちゃんと見て下さいます。例え落とされても苦しむ事はありません。出版社に要らないのではなく、向かないだけです。
自分が社会に必要とされてないなんて思い悩む必要もありません。
編集者になれなかったくらいで「社会」とか語っちゃうから落とされたとも言えます。過労で眠るように死んで行く人、かなり居ますからね。この業界。その程度で打ちひしがれるような人間に編集道を歩ませられないという、人事の方の老婆心とお受け取り下さい。
30、40、50社落ちても、楽観的に、俺を必要としている誰かに会いにいく!
とか言えちゃうような人ばかりですよ。編集者って。
新しく入る会社でもそんな印象を受けました。
必要とされる人間になってやるぜ!とかいう、やる気モリモリの人間ではなく、
一本芯があるのですが、朗らかで落ち着きがあり、どこかくたびれた優しい人が多いです。思い悩んでしまうような神経質な編集者はなかなか見かけませんね。著者との交渉などの機会も多いですから、人当たりの良さも重視している気がします。「俺は文が書けるぞぉぉJOJOォォォ!」だとか、「はい、僕天才です」系の人も珍しい気がします。そういう人は編集ではなく、ライターさんになる事が多いのではないかと。エディターではなく、ライター。文章のスペシャリストです。
ひがな一日原稿用紙を睨んでいるのは同じですが、この二つは全く別物です。
編集者を目指す人間には少なからずライター(作家)と混同している人も居ますし、世間からすればもっとかもしれません。となれば、編集者=作家=ベストセラーで夢の印税生活!と脳内で構築されているのかも?