自殺者三万人。
この現状を見、聞くに際して思うのは、我々は残念ながら日本人だということ。 あの時代から70年。洋上に居並ぶ戦艦、寸土防衛のために死して護国の鬼となるべく、菊水作戦(特攻隊)に身を投じた海軍航空隊の関係者を知っている。今と過去を比較するに、日本人は70年前と何も変わっていないと思う。
お国の為の全体主義から資本主義、民主主義へと転換し、表面上は一人前になった。
しかし、僅か2代前は戦場をゲートルを巻いて密林を駆け巡っていたわけで、
たった2代で生き物が変われるわけがない。と、思う。
肉体的にも人間形成的にも変わるには、70年は少々短過ぎると思う。
「生きて虜囚の辱め」を受けた人間は、連合軍士官の「君達は十分に戦った。これからは恥じることなく生きて欲しい」という言葉が理解出来なかった。今の日本人なら、理解出来なかったということが「理解」出来ないが、それでも現代日本人の根底にはあの戦争があるのだと思う。
自殺者三万人は、70年前に洞穴で自決した人間と何が違うのか。絶望的状況に助けを求めるでもなく、責任から逃れるでもなく、すべて抱え込んで命を捨てる。また、捨てざるをえない空気。
白旗を掲げることは許されていても、恥かしい。この恥の発想は、「生きて虜囚の辱め」とどう違うのか。結局我々日本人は、大東亜戦争の頃から何も変わっていないのではなかろうか。
我々が日本人であることをやめるか、日本人であっても生きられる日本にするか。
どちらかしか自殺者を減らす方法はないと思う。
付け焼刃の自殺者対策なんてものは、状況を理解していない人物のやること。戦後日本の価値観と、日本人であることの証明との折り合いが未だつかず、そのひずみの分だけ自殺者を出す。ということ。