責任をとるとはどういうことか
責任をとるとは、経済的に埋め合わせるということです。もちろん、埋め合わせのしようもないようなこともあります。でも、責任の取り方は謝ることでも、会社を辞めることでもありません。経済的な埋め合わせをすることです。
ごめんなさいということや、誠心誠意対応することは、責任とは別の問題です。それらは責任をとることへの補助的な要素、付随的な要素でしかありません。
上長が「お前、責任とれるのか!」と一喝すればすべての意見を封殺できるわけですけど、責任をとれるのは会社のなかにおいて本来、ひとりだけです。つまり、社長です。社長以外が責任を口にするのは間違いです。そんなものを背負うだけの権限も力量も社員にはありません。だから、社長は偉いんです。雇われ社員とは違うんです。経済的な最終責任を負っているから。
幹部クラスのなかには取締役などもいて、最高執行責任者などもいるでしょうが、決裁権を持っていなければ彼らも責任を口にはできません。取締役会が別にあって、社長がなんの決定権も持たないか、代表取締役ではない、株式の6割超を持ってない場合も責任を口にする権限はありません。経済的な埋め合わせは取締役や株主が負うことになるからです。
この国は、安易に責任を口にし過ぎます。権利の移譲もないままに、なんとなく上の人間が偉いから話を聞くことになっていますが、彼らもまた、無権利者でしかありません。経済的責任を負わない人間は、結局のところ肩書きは違っても並列です。舐めてかかって一向に構いません。でも、社長だけは違う。
で、上長は偉いという文化なのに、社長の悪口は平気でいうのがこの国の組織でもある。ねじれにねじれているんですね。秋の夜長に、責任についてちょっと考えてみてはいかがかと思ったり。
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