以前から申し上げておりますが、私は性コンテンツにモザイクをかけること自体、おかしな話だと思っております。もっとも、モザイクをかけてある方がよろしい、情緒的だという方もおられるでしょうから、モザイクを一律外せという話でもありません。また、未成年にそのような物を売る、視聴させることをよしともしません。18歳で成年とする世の中の動きに合わせて18歳までは視聴を禁止する、高校生は禁止するという状態でいいのではないかと思います。
猥褻について考える
さて、なぜ私が性コンテンツにモザイクをかけるな、妙に規制するなというのかについてですが、そもそも私たちの体についているものだからです。自分の体についているものが猥褻物なら、自身もやはり猥褻物です。猥褻物がモラルを語るなんて、滑稽千万でしょう。ですから、私たちは猥褻物などではありませんし、股間にあるものも猥褻物ではないのです。そうであるならば、隠す意味などない。成人し、それなりに文明教育を受けていれば、問題になるようなことをする人間はごく一部です。事実、強姦は性コンテンツが少なければ少ないほど起こります。週刊誌が性的なグラビアを掲載し、VHSが普及したことで一層日本の強姦事件が減っている(昔は女性が今より強姦されたことをいいにくかったとされているにも関わらず)点からもわかります。
猥褻というものは、キリスト教的倫理観、宗教的モラルによるものです。また、法的には社会通念に照らして性的に逸脱している状態を指します。日本では近代まで混浴だの、覗き穴(お金を払えば銭湯の2階等にあがってくつろぎつつ、女湯を見れるサロンが普通にあった)だの、半裸で風呂に行って帰ってくるだのしていたのですから、社会通念と法律に書いたのは実に上手い表現だと思います。ここからもわかるように、倫理観は人間が元々持って生まれたものなどではない、ということです。
ただ、グロは別物です。グロ描写や、病気の蔓延に繋がるような行為は本来の生命の維持機能ではないため、許容すべきものではないと思います。気分を害される方も多いと思いますから、ここであげつらうことはいたしませんが、身体への害が及ぶような内容を含むコンテンツまで、広く自由に頒布すべきとは思いません。
性コンテンツの立場の弱さについて
性コンテンツを生み出す会社について。合法である以上、強要などがない以上、弱腰になる必要はないはずです。同人誌は非合法的側面があるので別ですが、一次創作物にあたる動画、漫画、小説といったコンテンツが、「悪い物」扱いされ、悪い物だから無料でネットに流してもよい、手に入れてもよいという空気があるように思えます。私としては、これら著作物の権利者は、悪質なものについては毅然とした態度で望まれてもいいのではないかと思います。
一体どこに気後れする要素があるのでしょうか。合法的性コンテンツの充実は、もはや社会インフラです。しかも、完全民間主導の。これらがあることで性犯罪が減じ(犯罪対策、更生費用の低減)、性の知識がつく(教育費の低減)。少子化に拍車をかけているという指摘もありますが、望まない子どもや不幸な家庭が増えることの不利益を考えれば、差し引きできるのではないかと思われます。
性コンテンツは程度が低いというのは偏見でしかありません。一般的なコンテンツを作っている人間となんら変わるところはない(つまんねー自主制作邦画撮ってる奴らよりずっと世の中のためになる)。コンテンツを生み出せる人間はその才能に見合った利益を手にするべきです。AV作成者も出演者も、漫画家も小説家も、十分な利益を得るに足る人間なのだと強く信じてもらいたい。むしろ、社会インフラをこしらえているわけですから、そうでないコンテンツの作成者よりも強い態度で臨んでもらって結構。大いに利益をあげていただきたい。
性コンテンツが縮小するとき、それは人類のあらゆる活動が縮小するときです。
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