パチンコ屋の駐車場で子どもが亡くなる季節になりました。こんな品性のかけらも感じない書き出しをするのには理由があります。世の中は印象でものをいう、ということを伝えたいがためです。
パチンコのせいで子どもが死ぬわけではない
パチンコやパチスロのせいで子どもが死ぬわけじゃない。駐車場に子どもを乗せたまま閉じ込めるバカ親がいるから死ぬんです。一部混同している人もおりますが、パチンコが直接的に人を殺しているわけではありません。間接的なものです。世間はある程度このことを理解できているはずなのですが、ゲームやマンガとなると、途端に正気を失う方が増える。ゲームもマンガも人を殺しません。でも、これらがすべての悪の根源だといわんばかりに叩く。最近は減ってきましたが、それでも目にします。
駐車場で子どもが熱中症で死んでも、全国の民放各社が一斉に報じることはなくなりました。もう、当たり前すぎてニュースにならないのです。中央線で自殺者が出てもニュースにならないのと同じです。でも、ゲームやマンガのせいだと思しき事件が起きれば、全社一斉に報道します。滅多なことで起きないことを報じるより、日々起こっている殺人の方が社会問題だと思うのですが、感覚がどうにもおかしくなっているように思えてなりません。
パチンコ趣味が悪いわけではない
パチンコ屋の駐車場で子どもが死ぬとニュースになる(こともある)だけで、ほかの事例だとまとめて熱中症で何人死亡と伝えられたり、報道すらないということも忘れてはいけません。パチンコは悪いものというイメージがあるので、こういったニュースにすると特定の人間に訴求できるわけです。アニメやマンガを叩かれて頭にくる!という方は、パチンコも同じ立場だということを知っておかなければなりません。メディアによって叩く対象を先導されていることに気づいていないなら、バカだなんだと見下している一般視聴者と同じことです。
熱中症での死亡事故は、スーパーの駐車場でも起きていますし、職場でも起きます。でも、これらの場合は不慮の事故、かわいそうな事件として世間は認識します。では、スポーツジムに行っている間に死んだ場合は?サーフィン中に死んだ場合は?居酒屋でひっかけている間だったら?どの場合でも、行った場所が直接人を殺したわけではありませんが、きっと「心象」次第で許す、許さないの比率は変わってくるでしょう。
アニメやゲーム、マンガを叩くことに怒りを覚えるなら、こういった印象による部分で持論を変質させてはいけないと思うのです。パチンコがあるのが悪い、駐車場が悪い、もっと規制しろとやれば、それはすなわち、同様の規制や否定がマンガやゲームにも起こっても認めなければなりません。パチンコ自体が気に入らない、博打だから許さないというのであれば、それはそれで構いません。ただ、駐車場で人が死ぬから規制しろというのはおかしい。そこに直接の関連がない以上、別問題だというところは押さえておかなければいけない(むしろ、駐車場の廃止や自動車の廃止が先になるでしょう)。そのうえでパチンコの廃絶を訴えるなら、それを止めるつもりはありません。
物事の判断を原理や原則ではなく、心象でおこなえば、しっぺ返しが飛んでくるかもというお話です。
こんばんわ。何年かぶりにコメントします。私の仕事の同僚でもパチンコを嗜む人は何人もいますが、ほとんどが節度を弁えて楽しんでいます。子供を死なせた親は非難されるべきですが、即座にパチンコ規制という話はおかしいと思います。自分と関係のない分野では規制規制と叫ぶ人はいますが、自分の所にも規制の波が来ることを予想している人が何人いるか分かりません。あくまで非難されるべきは趣味や趣向ではなく非常識な個人というのを忘れてはならないと思います。
まったくそのとおりだと思います。しかしながら、「自分の肌感覚にあわないもの」を叩くための材料として恣意的に使おうとする人間は減るどころか増えてすらいるように思います。
そういう人物に扇動されないようにしたいものですが、いかんせん……。
これといった対処法がないのが現状ですね。
朝鮮玉入れの送金者とゲームはちゃうわ