今の時代が分からない、分からないから叩くってのは最低。分からないから無視する、諦めるってのも同罪。分かろうとする努力の中にバイアスの無い比較、批判が生まれるのであって、逃げ道を作って「今の若者はこんなもん」「今の時代はこうだから」と言うのは、責任ある大人の発言とは到底思えない。
それは同時に、自分の価値観を絶対だと思っているという事であって、俺の聖域を犯すな、そうすればお前の聖域も犯さない。という、大人らしい小汚い発想でしかない。それで物事を批判してみたり、社会派ぶったり、ガチンコでぶつかり合う覚悟も無いのに物を言うなんて滑稽。程度が知れるというもの。
互いに練磨しあって文化は磨かれる。私はかつて恩師とこの点で真剣に意見をぶつけ合った。何でも文化は保存した方が良いと言う風潮に異を唱え、研究会が白熱した。消えて行く文化があるからこそ、生きている文化は強く価値がある。もし、外圧に屈したわけではなく、自然と消えて行く文化、伝統があったとしたら、それはそのまま死なせてやるべきだ。口伝、文献に残す程度の事はあってもよいが、後継者を無理に作るなんてのは先にくたばる連中の自己満足でしかない。
文化は選ばれ、死ぬ。だからこそ生き残っている文化は尊いのであって、温室に放り込んで愛でたところで文化も伝統も、真に歴史を形作る物にはならないはずだ。
Aという文化とBという文化、Aの価値観とBの価値観、それぞれがエゴを主張しあって交わろうとしない。干渉しあわない協定を暗黙のうちに結んでいる。これが何より気に入らない。どちらが優れているか、優れていないか、比べる必要がある。皆それぞれ良いはずだから、文化を比べる意味は無いというのはどう考えてもおかしい。比べる努力を怠っているとしか思えない。
勿論、比べあった結果、どちらが上ということも無いという結論に落ち着くのは構わないが、互いに静かに生きる為に敵弾が相手に命中しないように撃ち合う威嚇射撃のような現代と過去の文化、若者と大人の価値観のせめぎあいが見ていて気色の悪い物に思える。
団塊のように自分が絶対で、他の文化、価値観を潰してやろうとしているくらいの方が見ていて分かり易い。もっとも、彼らは他者の文化を理解したり、公正な立場で批評する力など持ち合わせていないが。
大人が大人らしい汚さを発揮して、世代論で文化の変遷や価値観といった諸問題を追い遣ろうとしているのは、大人としての責務を果たしているとは思えない。社会派を気取る人間の多くがこの似非穏健派で居るもんだから、世代間の理解が進まず、乖離が酷くなる。地続きだった文化が、突然変質したかのような物言いをし、もう理解出来ない、手に負えないから、お前には手を出さんから俺にも出すなと言い始める。
大人の努力不足だろう。時代だとか、世代だとか、二文字で片付けないで貰えるか。自分は矢面に立って今の世代と戦う覚悟で居る。
「アーケードロボゲーの祖はガンダムVSガンダムだし!」とかヌかすクソガキ共に、「どう考えてもチャロンだろ、ハナタレ」と言ってやるのさ。