ネットのブログなんかをざっと見回して、これが世論だと語る人が居ます。私もそういう事をやっているかもしれませんが、ネットの書き込みが世間の平均であると言う考え方は危険ではないか。そういう疑問が沸いたのでメモ程度に。
ネット上で書き込まれるという事はどういうことか。掲示板などのスグにレスがある、ほぼリアルタイムの議論の場では以下の傾向が僅かに鈍りますが、ブログやその他日記系統のサイトをわざわざ構えて物事を論じる場合、幾つかのバイアスが気になります。
例えば、「今日から相撲を見てはいけません」という法律が出来そうだ。こういう状況が発生したとして、この話題について論じるのは誰なのか。ということです。考えられるのは、
・相撲関係者
・相撲ファン
・相撲嫌いの人たち
ではないでしょうか。つまり、元々興味の無い人間はわざわざそんな事は書き込まないわけです。
更にここにバイアスが含まれます。相撲嫌いの人間と、相撲ファンの人間が同数居たとして、この事に関して論じる割合が果たして同じかどうか。ということです。つまり、放っておけば相撲を見てはいけないという法律が出来るのに、わざわざ騒ぎ立てる必要があるのかということです。待っていれば済むことに無駄な労力を費やすのかと。むしろ騒ぎ立てるのは、相撲ファンの方じゃないでしょうか。
相撲というスポーツで考えると、アンチ相撲という人間はかなり少なそうなので妙な印象を受けますが、これが最近話題となっている児童ポルノ規制や、2次元規制だったらどうでしょう。
ここで具体的な数字を入れてみましょう。現実離れした仮説かもしれませんが、
2次元嫌いが100人、2次元好きが100人居たとして、規制されるとなって騒ぎ立てるのは恐らく好きな方。
規正法賛成!なんてわざわざ嫌いな連中が書くのと、規正法反対と好きな人が叫ぶのと同数とは考えられない。この仮説は大きく外れているとは私自身思えないんです。ですから、この仮説の下で論を進めさせていただきますと、
ネット上に表出してくる意見の大半は規制反対論であって、その上澄み液の下にはまだまだ大量の賛成意見が眠っている可能性があるのではないかと言うことです。ですから、ネットの情報は危ういのです。表層の薄膜部分しか見えませんから、それが全体像だと思ってしまいがちですが、人間には立場というものがあります。考え方というものがあります。それに応じて態度を変えるわけですから、ネットの意見を見ると規制反対が大多数だからといって、世論がそうだとは言えません。
世論調査に盛り込まれるノイズ~CO2排出削減議論から~でも申し上げましたが、世論調査は難しいものです。自分にとって好ましくない調査(アンケート)を引き受けてくれる人は少ないのです。これと同様に、自分にとって好ましくない物事に対して苦言を呈する事はあっても、心地良い言論に対して意見する人は極めて少ない。
つまらない映画を見て文句を言う人は居ても、面白い映画を見て文句を言う人は居ません。彼らのクチから出てくるのは、せいぜい「面白かった」「次回作に期待している」などの短い賞賛の言葉。批評家とかいう専門家をのぞけば通常こうなります。この短文でもって、ネット上に何かを論じるだろうか。
「今日映画見てきた。面白かったー」これで終わりではないか。書くほどの事でもない。
と考えるのも自然な流れだと私は思います。
無作為に抽出したわけでないデータを統計と称し、世論とするのは危うすぎる。
ネットを使う側として、ネットに使われない為にも必要な基礎的知識だと思う。
これが出来ないと、ネットの特異性を活かせない。「皆が良いと言ってるから買う」とか、「有名な人の作品だから買う」とか。そんな事はネット以外の情報でも出来る。大型資本や多数派に踊らされたければそれでもいいが、
私は「皆がこう言ってるから、これが正しい」などと思いたくない。
最後は個人的感想ですが、皆さんに何らかの影響を与えられればと思って書かせていただきました。