私の近くには居ませんが、色んな本を読んでいると出てくるもので、余分な贅肉を付けた識者、批評家などと言う権威。高級な人間。彼らによって「冷める」感覚を何度も感じているので書いてみるtest。批評するのは良い事ですが、どこかから電波を受信しているような人間が居るのが問題です。感想や批評とは異質のこのタイプの人間を表す日本語を知らないのがもどかしい。
※TOPの画像は一番最後に解説します
何で文学作品とかを語る人間は偉そうなんだろう。
作家が考えもしない背景を深読みして楽しむのは勝手だけど、
それを押し付けてこないで欲しい。アンタの読み方が作品を陳腐にする。
感想文ではなく奇をてらおうと、新たな読み方を見出さんとして無駄なもったいを用意する。そんな物は不要ではないか。作家が困るのは、自分が用意してもない世界観を膨らませて取材に来る人間だと耳にする。そういう余分なフィルターを介して著作を読む行為は、真摯に作品に向き合ってる事にはならないと思う。
哲学的な物の書き方をして、簡単に分かる内容を複雑怪奇に仕立て上げる。
何の意味があるのか。そんなに頭がイイ事を主張したいの?
そこまで高尚な人間なら自分で作品を書けよ。と思う。
文学作品に限らない。社会学、地理学でも同じ。そういったのが居る。
5行少々で説明できる内容を、ゴチャゴチャとした絵図を用いて説明する。
絵図を作った事で仕事をした気になる。読者がパッと見て分からない内容にする事で、自分の学力をひけらかしたいだけだとしか思えない。
「何でこんなに難しく書くのか?」と問えば、
「分からないキミが勉強不足だ」と帰ってくる。
多分違う。本当に賢い人間は、難しい事を難しく言わない。
T大大学院理学部を出てきた教授は、決して難しい事を言わない。
聞いていて分からない事を言った試しがない。
それは、知識が足りずに学部生レベルの事しか知らないわけじゃない。
難解な文章や内容を平易な日本語に変換する装置が備わっている。
平易な日本語に変換するからこそ、氏は効率的に物事を記憶している。
ダメな人間ほど難解な日本語に変換したがる。自分がバカだと悟られない為に。
行き過ぎた感想文や的外れな批評、この人の脳は宇宙でも彷徨ってんじゃないか?と思う記事や論文を読むとガッカリする事が多い。残念で仕方ない。
私は頭が悪いので、高級な文章を書くことも勝手な妄想で世界観を広げることも出来ません。ですから、自然と平易な文章になると思います。また、表現方法に欠陥のある素人文になるでしょう。私でも書ける文とは、取りも直さず私でも理解出来る文だということです。
世間がバカの私の文章は読め、賢い人の文章は読めないならば、これほど勿体無い事はないと思います。難しく書くことで権威の香り付けをするくらいなら、平易な文章に直す努力をされた方がいいのではないでしょうか。私より賢い皆さんは出来る筈です。
【最後に(ここが本題)】
さて、TOPの画像です。拡大できるので、皆さんご自由に閲覧下さい。
文章中に書いた、どこかから電波を受けとってるんじゃないかーとか、難解にする解説とか、勝手な世界観を創造するタイプの人間。私が批判したかった学者や識者が好んで使うタイプの絵図です。この絵図を見て、素晴らしい!と思う人は、ちょっと冷静になってください。書いた本人さえ何を書いているか分かってないような絵図なんですよ。これは。
このテの絵図は、分かりやすくするために付いているわけではありません。権威の香り付けについている代物。絵図にもかかわらず、ワケの分からない単語や定義が多数盛り込まれているのがその証拠。また、権威付けでなく真剣に書いていらっしゃる方も居るでしょう。しかし、それは無駄としか言いようがありません。絵図を見て50%も理解できないとすれば、それは絵図の意味をなさない。物事を混乱させるだけの存在です。無い方がマシではないか。
哲学的な内容を気取りたがってる人間は往々にしてこんな図を付けます。
イタズラに著作を難解にし、読者を戸惑わせる絵図に存在価値ってあるんでしょうかね。
誰とは申しませんが。