今回は私の死生観を含めた雑記です。mixiの転載となっております。この度亡くなられた知人(先輩)にご冥福をお祈りします。
ゼミの院生がお亡くなりになられました。 変わった人でしたが、文化地理を愛し、教授の信頼もあつかった方。 的外れな事を言うけど、やはり知識に裏打ちされたものがあって、 議論の構成は上手くなくても学部生ではとても辿り着けない学問の高みへと 踏み出していた方です。
文化地理学者はただでさえ少ない。将来教授コースの人だったのに
院生を失うという事は、日本国的なレベルでの損失。
まともな院生はという条件付です。もちろんこの方は先に述べたように
高みに身を置いていた方ですから、大きな損失です。
生き死になんてものは簡単に来る。
だから、死んだ時に恨まれて死にたい。人様に迷惑をかけるわけではなく、
強欲で、どこまでも自由奔放で闊達で。豪放磊落な人間として生きたい。
海でも山でも空でも構わない。自分を大きく投げ出して生きて生きたい。
型通りに生きても、運の無い奴から死んでいく。死んだらどんな善人も負け。生きてりゃどんな極悪人でも勝ちってのを痛感してきた時期があったから、死んだら全てが無。今まで積み重ねてきたものなんて無価値になる。
命を大切にしろなんて言うつもりはありません。大切にしてる奴らは本当に何の役にも立たない。役に立つ人間は命を切り売りしたり、磨り減らしている人間だけ。だからこそ、いらんところで命を削るなと。過保護に護り続けるんじゃなく、張るべきところでは大きく張る。結果負けても、ただ無為に生きるより自分はずっと幸せだと思う。
御魂だの珠の尾だのと表現は様々ですが、命を失うってことは、命を賭けた博打を楽しめなくなるってこと。人生という賭場で、勝っただ負けただ言って、誰もがドロドロになって死んでいく。
命はタネ銭。タネが無けりゃ賭場には出入り出来ないし、博打は打たせてもらえない。だから命は考えて使わなければならない。金と同じように。金ってのはいつかは使うわけですが、お金は大切にするものだと教わります。
「使いどころを考える事が大切にする事」なのは自明の理。
命も同様。命の使い方を考えられなくなるってのは、一番つまらない。
一番つまらないのが「死」なんだろうなァ。