高度な能力を持った特定のグループというのは少数派で、やれる事もスケールメリットの問題で少ない。ただし、非常に高度なコミュニケーションを持てる。これをスケールメリットを重視して、あれもこれもと人を増やすと、途端にそのグループは薄まり、存在意義が消えてしまう。明確な定義によって区分された集団の方が便利が良い場合もあるという話題の続きです。Ⅰはこちら
ハードの需要はあくまでソフトによる喚起でなければならない。そうしなければ、BDを視聴するために買った人間と、ゲームをプレイするために買った人間との差が見えにくくなってしまう。販売台数さえ稼げれば良い家電屋気質のソニーにとって、ここは盲点だったのでしょう。また、この状況を読む事が出来なかった大手サードパーティー及び私のような一部ユーザーにとっても盲点といいますか、良い勉強になったのではないでしょうか。
需要を読むにあたり、顧客情報は命です。ユーザーが何を求めているのか分かり難くなればなるほど商売は難しくなります。斜陽のゲーム屋や駄菓子屋の店頭にプラモデルやカードゲーム、その他玩具が並びだしたらいよいよだ。と言われるように、明確な母集団に商売をするのと、八方美人に商売をするのとでは経営の難しさが段違いになります。BD及びアップスケーリング機能はアニメや映画を好む層の需要を喚起してしまったが為に、かつて100万本弱売ったタイトルが初週数千~数万本といったお粗末な結果になっているわけです。例え300万台売ったとしても、ゲーマーがその中に10万人しかいなければ、最大10万本しか売れないわけです。どの客が継続的にゲームを買うのか分からないのでは、出荷数どころか制作してもいいかどうかも分からないままです。出たとこ勝負で十数億円の巨費をHD機に投じるのは無謀です。
これに対し任天堂は配慮はしているものの苦しんでいるようです。経営状態は極めて良好で、苦しんでいるという表現は適切ではないかもしれませんが、任天堂(ファースト)製のソフトが初週6000本程度しか売れない市場が現在のWiiです。WiiスポーツやWii Fitといった健康体感ゲーム機としての需要を喚起したがために大成功しましたが、それは同時に旧来のゲームが売れない市場を形成させてしまった事でもありました。良く似た体感ゲームばかりが乱造され、さながらアタリショック前夜という状況だとも言えるでしょう。販売台数は多く、ユニークユーザーも多いのですが、やり込みが必要なゲーム、継続的に買い続けてくれるユーザーというものが不在であり、任天堂ですら体感ゲーム以外で決め手を欠いているのですからサード各社にキラータイトルが出せないのは当然です。これが一過性のブームに終わり、64やGCの再来、アタリショックの再来を任天堂は危惧しているのではないでしょうか。スーパーマリオギャラクシー2が今後のWiiを占う作品となるでしょう。
この点において、MSの戦略は頭1つ抜きん出て居ます。任天堂もごく一部で対応しましたが、ユーザー情報の収集がMSは実に上手く、豊富な資金と開発環境の支援によって需要に応じた商売を行っています。ゲーマータグと呼ばれるプレイヤーの分身は、PS3やWiiと異なり自由に幾らでも量産できるわけではないので、販売台数とユニークユーザーとの関係性が明確です。どのプレイヤーがどれくらい何をプレイしたかは一目瞭然ですし、MSのゲームでは敵を倒した数や使用した武器の比率どころか、誰がいつ、どこで、何をしたのかまで完全に把握しています。プレイヤーがどこで敵にやられてしまったかまでMSは知っているわけです。これほどまでに綿密な顧客情報収集はソフトにフィードバックされ、各メーカーに提供されます(それどころか、個人でも視聴できるます)。情報戦で勝つ事が経営で勝つことでもあるわけです。何をどれだけプレイしたのかを完全に把握しておけば、今のプレイヤーが何を求めているか、現場の声を全数調査で得ているようなものですから大きな強みだと言えます。
ユーザーをぼかさない事がゲーム機の生き残りには重要だと学んだだけでも今世代は収穫だったのではないでしょうか。