ワンテーマを用意してのゲーム開発、そこから無駄に枝葉を伸ばさない姿勢。これが今のゲームに欲しいと思える要件です。ポケモン開発者の田尻智氏は、ゲーム製作は動詞探しだと言っています。クインティならめくる、ポケモンなら交換する。これこそワンテーマの極致ですよね。
日本人が最近出すゲームって「小難しい、煩わしい、自己満足」で構成されてる。ゲームを作ることは難しいのは重々承知です。それに携わって悩んでいる事も理解しています。ですがね、日本のゲームに今足りてないのは職人気質ですよ。日本人ってのは小さい範囲に物を詰め込むのが得意な民族だとよく表現されますが、まさにソレです。
入れ物がDVDだのBDだのになった途端、嗚咽が漏れ聞こえて来るようなタイトルが増え始めた。今度のゲームは○メガ!とか言ってた時代には、クリエイターたちが必死にデータを組み合わせてスペースを削減し、徹底した容量調整の中で名作を生み出してきた。 まあ、当時はそのレベルのゲームしか作る環境もありませんでしたが。
これは、昔のクリエイターが凄い!というだけでなく、容量が少ないからこそ、「ワンテーマ」でゲームを作るしかなかった。このあれこれ入れることが出来ない「ワンテーマ」という制約こそが、直感的なゲームの面白さを生み出すに至ったわけです。
最近だと、メイドインワリオやリズム天国辺りでしょうか。ワンテーマなんですよ。
古くは2Dアクションゲーム。飛ぶ、走るといった基本動作。
格闘ゲームにも言えることで、打撃と防御。
いずれも必要最小限しか盛り込めなかった。だからこそ理解に時間かからず、誰もが受け入れられる内容になった。私は最近の日本のタイトルにはこの「ワンテーマ」が失われていることが大きな影を落としていると考えます。
Xbox360のゲームがごく一部で面白がられるのは、この「ワンテーマ」がまだそこに存在するからです。バーンアウトパラダイスならば、自由気ままに公道を走り、ライバルよりもカッコ良くカースタントを決める。たったそれだけです。だからこそ生まれる爽快感や、アメリカンテイストの効いたクラッシュシーンに興奮する。
確かに、この「ワンテーマ」は諸刃の剣です。テーマ選定に失敗したらそれで終わりです。
そのゲームは一切救いようのないいわゆる「クソゲー」にされてしまう。
それではいかんということで保険をかけて様々な要素を盛り込むんでしょうが、それは保険ではなく逃げに繋がり、ひいてはどれも中途半端な「凡ゲー」になってしまう。「ワンテーマ」でゲームを作るわけですからテーマが決まってしまえば、後は細部に拘れるわけですよ。
拘り抜いたクラッシュする車のモーションや、敵を打ち落としたキルシーンのスローやリプレイ再生なんかは、「俺、今輝いてた!」という簡潔な快感に繋がるわけです。単に映像が美麗ならいいわけではありません。デザイナーにはそんなものより、「魅せ方」を追求して欲しいんです。陳腐になりましたが、スタイリッシュ性です。初登場時の鬼武者やDMCが謳った、空前絶後のバッサリ感。今と違って当時はスタイリッシュというのが新鮮でしたからね。そういう「ワンテーマ」に挑戦しないと、スタイリッシュを産み出せないんですよ。
最近のゲームのように自由度が高くなると、「こうも出来るけど、ああも出来るし、それでもいい」なんて選択肢が曖昧になってしまう。これがいけない。敵と対峙して、さてどうしたものか…。と悩むのが面白い。
最近のゲームでは、強い敵=防御力の高い敵(硬い敵)
になってしまっている。手数や時間がかかるだけの敵が本当に多い。
これが自由度向上の弊害。自由度が上がって、様々な攻略方法が生まれた結果、アクションゲームでは防御力を上げざるをえなくなったんです。
なぜなら敵の攻撃パターンを増やしすぎると、子供(子供はゲーム上手いですが)が攻略できなくなる。難易度が上がりますからね。じゃあ攻撃力を上げるかというと、自由度が高いので一撃が当たらない方法が簡単に見つかったりした場合困る。それらを全て想定することは実際問題として不可能なわけです。ではどうするか。スグに死なないように硬くするしかないんですね。それが一番簡単な解決法になってくる。
今も昔もダラダラと同じ動きを繰り返すだけなんですが、最近のゲームにはその作業感が敵と対峙してから起こる。昔のゲームは死んでは覚える作業でしたので、同じ作業でも中身が違う。そして、前者の作業からは達成感が生まれにくい。「ハァ、終わった終わった」という感想を抱いても、「やったー!」にはならない。
容量増加、表現の高度化などなど「自由度」の向上が引き起こす不の連鎖が、現代日本のゲームをダメにしている。ゲームメーカーに誠実であれとは言わない。私自身、ハード(PS3)で泣かされた人間だが、それは欲しいタイトルが出てから買わなかった自分の問題。先物をやって失敗したようなもので、自己責任。失敗したら塩漬けせずに、損切りすれば済む話。ハードをとっかえひっかえして頂いても構わない。面白いゲームさえ出るなら。
ただ、忘れて欲しくないのが素朴さです。ゲームはゲームであって、映画ではない。ゲームはゲームであって小説ではない。映像を見せるものでも、文学的価値を追求するものでもない。ゲームらしいゲームなどと言えば世間のいい晒し者ですが、仮にあるとすれば「ワンテーマ」で製作されたゲームなのではないかと私は考えます。