人間の体の成長と教育の時期。これについて十分に検討がされてきただろうか。早く、長くすれば全て良いだろうと決め付けてきたのではないのか。教育の時期について問いたい。
人間の脳は、部位によって成長の度合いが違う。
運動や視覚を司る部位は5~6歳時に既に成人と同程度まで成長するが、
勉強に関する理解や記憶を司る部分はそうはいかない。
記憶力については20~25歳頃まで成長を続け、その後10~20年もの間ピークを保つ。
これは、人間という生き物が進化の過程で最も効率的に生きる為に編み出した人体構築法とでも言うべきものだろう。脳科学の分野ではどう扱われているのだろうか。
つまり、運動神経が発達していないと何かと困るわけです。大人になるまで身体を動かす能力を欠いているという事は、野生では格好のエサでしかない。素早く成熟させる必要がある。しかし、記憶力はそうでなくともよい。人間の寿命は長く、成熟してから後天的に得る知識が多いのであるから、あまり早い段階で成熟し、衰え始めても困る。実に良いバランスだ。人が人として進化してきた過程で、このバランスを保てなかった個体は捨て置かれたのでしょうか。
乳幼児教育や、3歳からの英会話などが大人気ですが、本当に効果はあるだろうか。
スポーツ選手や音楽家は3つの頃からやっているから凄いんだ。だからウチの子にも早い頃から勉強をさせるんだ。という理論は、この脳の発達時期という研究結果によってほぼ無価値だと言われてしまった。スポーツ選手にするなら早い段階からやらせるべきだが、早期教育は効果が薄いどころか運動神経の発達を阻害し、将来的に世間ズレした子供を育てる事になる。
じゃあ、偉い親の子は何で偉いんだよ?早期教育じゃないのか?
という指摘があるかと思われます。これについてですが、偉い親は、親としても偉いのです。子供は生まれながらにして、先天的才能と恵まれた環境を手にしている。凡百の親とは違うわけです。勉強をしないで育った親は、勉強の仕方も、答えも、辛さも喜びも教えられません。この時点で、親としての教育が出来ないのですからまともな子供になりえないのです。
どこかの誰かに教えてもらうなんてもっての他。子供は親の側に居たいものです。親が居ないだけで不安なのに、目も肌も髪の色も違う外国人教員の前に放置されて彼らがまともに学べるものか。親は子供を学ばせているつもりなのでしょうが、子供は無理やり妙な呪文を教え込まれ、親に捨てられているとしか感じないでしょう。
父親の書斎やキャッチボール、母親の料理や読み聞かせは、伝統的な古臭い教育などと打ち捨てられるほど単純なものではなかったということです。幼少期のキャッチボールは時期が良い。料理も同様に。少し言葉が分かるようになれば物語に興味を示せるようになり、その切欠となりうるのが親の本棚だろう。
親の真似事をしたくなる時期に自発的に学ぶ事を許さず、
全て親のプランで学ばせる行為の危険性についても指摘したい。
子供は疲れを知らない。ある瞬間突然眠ったりする。
先ほどまで元気に走り回っていたのに。
これはどういうことか。彼らは止めるという選択肢を知らないのです。
その行為が止まる時は、肉体か精神的限界が来た時のみです。
ある子は急に眠り、ある子は泣いてアピールするでしょう。
自発的な学びの欲求を抑圧して学ばせたとしても、彼らはその苦痛を感知できません。そして、一定程度時間が経って肉体か精神のどちらかに限界を感じると、爆発してしまうわけです。こうなってはもう取り返しが付きません。子供は「こんな事は勉強したくありません」などと言えないので、無茶をすれば壊れてしまいます。
私の知る限りでは、英会話に傾倒したが為に小学校で日本語が不自由になり、クラス内で孤立した結果、自閉症になってしまった子や、早期教育で徹底的に管理し、他の子供と遊ばせなかった結果、幼稚園で他の子にケガをさせる事が「趣味」になってしまった子などを知っています。
ゲームやマンガはやり過ぎると(やり過ぎなくても)悪いと分かるのに、何故、必要なものを学べなくなるほど「勉強」をやり過ぎるのは悪いと思えないのか。英語だけやってても数学の成績は伸びんぜ。地理の偏差値72だったけど、数学(?B)なんて40くらいだったぜ。だって、数学の時間は地図帳と地理の用語集しか見てなかったもの。
偏った子を作りたくないのであれば、必要な時に親のエゴではない教育をしてやること。偉い親はそれが出来る。家風というか、育成理論があるのだろう。ぽっと出で、子供を使って成り上がってやろうとか思っていると、途端にポシャるわけですわな。