私が権威、つまりここでいう新聞やテレビの報道が嫌いであることは今更ページを割いて書くまでもありません。下卑た報道、無能な連中を弄ぶ番組。そういった物は心底消えて無くなれと。そう思っていることは今も変わりません。しかし、時代は再び変わりました。5年、10年前とは既に違うのです。今こそメディアの認識を改める時期ではないか。私にはそう思えるのです。
世間が感じているであろう認識は、こうである。と仮定します。
・現代におけるメディアはインターネットで、新聞・テレビは悪である
少なくともネット利用者の中ではそれなりの人数がこういった認識を共有しているでしょう。しかし、私にとってこの認識は、2000年代前半の認識で、最早通用しないと考えます。
今後は、次のように認識を改めていただきたい。
・現代におけるメディアはエリート専用メディアであり、マスメディアではない
つまり、新聞もテレビもネットも悪であり、信頼できる人間同士、少数派どうしの情報交換以外は今後取るに足らない物になる。私はこう考えております。
無料のコンテンツが増えました。情報はタダだと考える人が今まで以上に増えたであろう事は容易に想像できます。彼らはこう言います。「ネットでニュースは見るから、有料のメディアなんて要らない。欲に目が眩んだニュースは信用できない」と。
この認識が既に賞味切れ。2010年からは、「無料という言葉に目の眩んだ業突く張り」相手の商売が有料コンテンツを殺すでしょう。無料のテレビは広告主の意向を無視できないので使えない。では、ネットは広告主が居ないんでしょうか。子、孫引きニュースサイトの情報の信憑性は誰が保証するのか。金のかかる調査や、産業や官僚の汚職は誰が暴くのか。
ネットが今まで評価されてきたのは、少数のエリートによって構築され、性善説の中で細々と良質のコンテンツが提供されてきたからです。そういった努力がネット上に様々な情報や形式のサイトの構築に結びついてきました。しかし、現在はそういったインフラを「創れないユーザー」のタダ乗りが中心となってしまった。テレビや新聞が衰退する中で、エリートではない人間が大量に移住してきたらばどうなるか?当然、「金」にこだわる連中も移住してくるわけです。
新聞やテレビと同じく、ネットが皆様が心底毛嫌いする「金の亡者」の巣窟になるだけ。これを防ぐ方法はひとつです。ネットを皆様がお使いにならないで過ごすこと。こうすれば良質なコンテンツが中心の情報源で居られます。「え?それじゃあ俺たちがタダで情報が得られない?」そうですよ。得られません。情報はタダじゃないんです。人間生きてればハラが減る。ハラを満たすには金が要る。命を金に換えてるわけですからね。タダで全てを済まそうと思えば、広告主が居ないといけないわけです。その辺りを深く考えた上で、「ネット最高!新聞死ね!」と仰られているとは思えないんですよ。ニュースサイトや2chの情報の多くだって、テレビや新聞、調査機関が情報元でしょう?今のままだと大元である親ニュースが死ぬ。死んだらなーんにも無くなっちゃうんですよ。
インターネットとは、相互に情報をやり取りする道具であって、産業であってはならないのかもしれません。学者同士の意見の交換から始まり、文学評論や知識の蓄積に用いられるのであれば良いのですが、そういった人間はある程度割合が決まっているわけでして、「クリエイター」以外の「ユーザー」が増えてしまうと、大多数の「ユーザー」を相手にする商売が生まれてしまうんですね。
今後、インターネットの階層化を目指すのか、インターネットの質が低下し続けるのか。それは分かりませんが、確実に言えることは、物の本質が分からん人間が増えたということです。今こうしてブログを巡っている行為ですら、もしかするとインターネットの質を下げているのかもしれない。こうして打ち込む文字すら、ネットの粗悪化を進行させているのかもしれないのです。
価値ある情報(何をもってしてそう言うのか分かりませんが)を得続けるためには、自分はネットを使わないようにしなければならない。こういうジレンマが発生する時期になってしまいました。