カメラ屋のプライド
iPhone3GSが発売されてから少しして、あるビデオカメラ技術者と秋葉原で会う機会を持った。彼は根っからの「ビデオカメラ」マニアで、それが長じてビデオカメラの開発部署に就職したのだ。特に細やかに連絡を取り合う仲でもなかったが、それがなんでまた会うことになったかというと、「彼は秋葉原に住んでいる私を捕まえて、秋葉原のど真ん中でiPhoneをくさしたい」、一方私は秋葉原という特別な場所で「iPhoneってすごいといいたい」と思っていたからだ。こうして互いに腹心を隠しつつ、会うことになったわけである。
会ってそれほど時間も経っていないのに、早速彼は携帯電話をくさしはじめた。携帯電話のオマケ機能でカメラなどちゃんちゃらおかしいという。一方、すでに私はiPhone3GSを持っていた。2009年ごろなので、今でいう「意識高い系」がiPhoneを持ちはじめたばかりのころだろうか。爆発的普及の前夜といった雰囲気が秋葉原にも確かにあったのを思い出す。
私は一通りiPhoneを貶めさせたあと、「10年前は携帯にカメラすらなかった。今は300万画素、オートフォーカス。そのうちビデオカメラに取って代わるだろう」と核心に触れてやった。すると彼は「電話屋にカメラがつくれるわけがない」という。開発力が違いすぎ、所詮はビデオカメラの後追い。今後も携帯でビデオを撮るのが一般化することはないと断言した。
Appleは元々電話屋ではないが、彼の中ではそういう位置付けなのだろう。パソコン屋が携帯を作ることをあざけると、じゃあ日本の電話はどうなんだ、ソニーのビデオカメラはどうなんだということになるから、あえていわなかったのかもしれないが。
散歩がてら街を歩いていると春の運動会があった。我が子の勇姿を納めんと、ハンディカメラを構える人は著しく減ったように思う。街でも自撮り棒が危なくてかなわんとニュースになる。あれからまだ10年も経っていない。彼の部署はこの春、大きな配置転換があったそうだ。
蛇足
結局、技術が上だといっても、ウォークマンのように「まだ存在しないもの」を生み出し、市場を開拓しない限り、特許料を払うなりすればどの会社も先行の技術にすぐに追いつけてしまう。現状しか見ていないからこそ、あっという間に置き去りにされるのだと思う。すでに日本の開発力はアジア諸国にすら劣るという声もある。先行技術は真似れば済むからだ。日本もそうやって欧米のものを取り込んできたのだから、これについてはなにもいえないとだろう。ブランディングだマーケティングだというと眉唾で、文系仕事は詐欺の類という風潮が抜けないが、目を背けているうちに「詐欺的」と嘲る方法でお金を稼ぎ、そのお金を開発資金にして足元を掬われたのだから、救いようがない。市場がバカだとかいっている人間がまだいるが、バカはお前だといいたい。市場は常に正しい。市場に選ばれることを目的としないなら、国立大学の研究室でやるべきことだ。もっとも、研究資金獲得も選ばれるための熾烈な争いがあるわけだが。
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