オタクのファッションが何故ダメなのか。オタには理解できない。一般人に聞いても明確な答えは返ってこない。昨日はアキバクロスフィールドで働く土建屋のお兄さんが、「アキバはキモイ服ばっかだから作業着で歩いてても気にならなくていいな!」と言ってました。ここから見ていく日本の村社会的ファッション論。それではいってみましょーかw
オタクがファッションを理解できないのは、興味が無いから!とここでは決め付けます。ファッションを気にするオタも沢山居ますが、この際は、ちょっと除外でw
さて、一般人がオタクの服装を批判する事が良くあります。その際、どういった点が悪いのかを聞きますと、
A「ちょ…今更何?その服?ダサくね?」
雨「そう?どこを直せばいいと思う?」
A「え?んーまずズボンはダメージにして、上着は薄手のやつにしなよ。」
雨「考えてみるよ。で、ファッションって個性って聞くけど本当?」
A「トーゼンだろ。いかに自己主張するかだって!」
雨「でも、ダメージジーンズは皆履いてるから個性的じゃないよね?」
A「…キャップかぶれば?」
雨「いや、それもみんなかぶってるから、個性的じゃないよね?」
A「…ファッションは自分で考えるから意味があるんだよ!」
雨「自分で考えてオタファッションなんだけど。」
A「とにかく、センスねえよ。」
雨「(急に抽象論か…。)」
というような流れになりがちです。一般人は一般人のファッションセンスというものが根底に流れているらしく、それに合わない人間はダサい。となるようですね。でも、オタクにそんなセンス感は無いわけでして。ここにズレが生じるんですよね。
ファッションの本質は自己主張、個性と言いますが、私は、彼らの言動からしばしば、
ファッションの本質は無個性、擬態
と感じることがあります。
個性的という点で見れば、アキバ系のオタファッションは少数派で、非常に個性的です。しかし、それが批判される。冒頭にも挙げた、土建業のお兄さんは、周りがダサいから自分がダサくても大丈夫だ。という趣旨の会話から見るに、一般人のファッションセンスはいかに周囲に合わせるか、時代の流れに乗り続けるか。であり、常に周囲を見、周囲に見られる事から生まれているのだと思います。
つまり、【赤は人間(主に自分)周囲の色は環境や時代の流れ、流行など】
この状況は絶対に好ましくなく、
この状況こそ正しいファッションだと言う事です。
図を用いた割にはわかりにくかったですねw
ファッションの中の個性とは、周囲からあまりにもかけ離れた事をする事ではなく、周囲の環境が許す限り。その枠内の限界ギリギリまで近寄っていくか。というものなのでしょう。
ですから、あまりにも突拍子のない服装や、枠外(=時代遅れ)の服装は批判されるわけです。
海外ではあまりこういったものは無いようです。ファッションは純粋に自己主張であり、階層を示す指標でもある。枠などというモノはなく、いかにして自分を際立たせるかがポイントなのだそうです。
ですから、海外の人は、オタファッションを、アキバCOOL!!と呼んだりするのですね。
だって、居ませんもんね。ああいう格好の人はw
非常に簡素なファッション。主張しないという主張。これが彼らにとって新しいw
日本の村社会的な枠組みがある以上、絶対に日本のアパレルは世界に通用しない。
それは、枠内という閉鎖空間内では発想に限界があるから。今、東京の公園に集まる、ド派手ファッションの女の子が海外のメディアで取り上げられています。これも、枠外の存在だからでしょう。
ジミー大西の絵が売れます。枠外だから。日本人デザイナーが作った豊かな色彩のドレスが売れます。枠外だから。シャネルの白とカラフルな水玉があしらわれているバッグが売れます。枠外だから。
固定観念に囚われているのはオタクではなく、一般人なのかもしれませんね。
言われて見ればそうかもって方は是非ワンクリを~。
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