オタクの中で、一方的に社会を憎んでいる人間が居るようなので。社会を憎むということは、オタクになりきれていない証拠。自分が社会に認められていないのは、自分のせいかもしれないし、社会に認められたいならオタクをやめればいい。私はそんな不利を被ってもオタクであることを選ぶし、少しずつ偏見を和らげていければいいと考えています。過激派はどこの世界でも足元を掬われるだけです。
居場所なんてものは、欲しければ自分で作るもの。無くても死なない。
他人との接点を最小限にして生きていく方法は幾らでもあるのに、単に甘えから「いじめ」を訴える奴が多いんじゃないか。無能な人間は当然見下されるし、相手にされない局面も出てくる。自分はオタクをやってるから、オタクだからと見下されることだってある。だからといって、自分の生き方を曲げてまで迎合する気はさらさらない。
加えて、オタクだからといってあからさまに相手を否定してこないのが日本人。多くの一般人は、オタクという存在をテレビでしか知らない。現実にオタクを見ると、オタクだからと一段下に見るなんてことは少なく、改めて正当な評価をしてもらえる。オタクに対する偏見は拭えなくとも、自分への偏見は拭い去ることが出来る。
自分らしく生きるには、周囲の視線を無視し続けなければならない。
周囲の罵詈雑言に耐えられないなら、相手に認めてもらうために精一杯社会と同化して生きるしかない。自分は変えたくないけど、寒風には耐えられないなんてのは甘え。
オタクだからといって、全ての一般人が忌み嫌うわけでもない。それ以外で輝く部分があるならちゃんと付き合いは続けてくれる。社会への適応能力がなく、これといった特技もないオタクは、オタクじゃなくても相手にされない。それをオタクに対する偏見でいじめられているのだというのは勝手な妄想。
また、オタクじゃない事を懸命に示そうとするオタクも見ていて悲しい。
一般人には受け入れられてないし、オタクに向かっては「オタクとかキメェ」などと、優越感に浸る発言をして嫌われる。軸足の置き場所がはっきりしない人間は、どこまで行っても虚飾の人生でしかないぞと。
後は、大人しい子と不気味な子は違うという点。喋る才能は生まれてから後天的に磨いてきた才能であって、二十歳回ってどうこう出来るものでもない。大人しいなら大人しいキャラクターとして生きていけばいい。
大人しくても、他のコミュニティから誘いが必ずある。その機会を活かせば、嫌われることは無い。挙動不審だったり、話しかけられても無言だったりすると、二度と相手にされない。それは周りが悪いわけではなく、自分のエラー。
分からないことがあれば彼に聞けばいいとか、この話題はあの人がいいとか、何かしら輝く要素を持ってないと、オタクであるかどうか以前に相手にされないのは世の常。無条件に自分を肯定してくれるのは、血縁者くらいのもん。役立たずはあらゆる場面で切り捨てられる。そうならない為に人は努力し、ドラマトゥルギー全うする事を余儀なくされている。自分だけその苦難から逃れようったって、そうはいかない。逃れても構わないが、逃れれば世捨て人。それに耐えられるのであれば。