ツンデレってのが一般化されてくるにつれ、誤った使用法がまかり通るようになってきていますね。言葉が変わることは運命ですが、元々あった言葉に迎合していくのはどうかと。元からある言葉と同じ意味や用法になるのであれば、古い方の言葉を使えばいいだけ。
ツンデレってのは本来
1) 幼い愛情表現しか出来ずに他人を攻撃してしまう女性
2) 恋愛感情などがない時には素っ気無いが、仲良くなると依存度を高める女性
を指していた筈。なのに、冷たくあしらわれたり、本気で突き放してくる人やキャラに対してまでツンデレとか言ってる人間が居る。この定義で行くと、「俺、ツンデレ好きなんだよ!」って言われたら、受け手は彼はマゾだと認識してもいいだろう。
萌えオタに於いては、疑似恋愛を体感する事で自己充足を図っていたわけだが、何やら最近はストイックな生き方がカッコイイと思ってる人間が多いようですね。オタである事を卑下する必要もありませんが、誇るべきものでもない。その辺りの分からんバカタレオタ共が、オタク至上主義を説いたり、オタク間の差別を助長するような発言をしたりする。世代間で行けば萌えオタと特撮オタ、現代でもガノタと萌えオタが対峙したりしますね。
彼らは、「萌えオタは頭の中がピンク色の性犯罪者予備軍だ」と主張したがりますが、「お前らには性欲が無いのか?」と、問いたい。三大欲なわけでして、持たざる人間が持つ者を見下す論理はどこにも無い。萌え=性欲だと断言するのも難しいが、一切の関わりがないと主張するのはもっと難しい。特定の趣味によって自己充足を図るという点では、どのオタクも更に一般人でも同じこと。それに上下の格付けをすること自体無意味。
話を戻してツンデレについて。ツンデレの良さは人それぞれでしょうが、私の定義で行けば、相手を攻略することで得られる達成感や対価がツンデレを好きになる要素なのではないかと。2次元であれば、それを疑似体験出来る事に価値があるわけです。
「あんたバカァ?」って言われて気持ちよくなるのは単純にマゾヒストであると自覚してください。罵倒されるも、その低い評価を覆して相思相愛を目指す過程と結果が必要なんですよ。アスカならアスカを見てツンデレ好きがアドレナリンを出すのは、最終的にアスカがデレる事を知っているから。
しかし、ここに問題があります。
低い評価を覆していく過程をすっ飛ばして条件反射で
『あんたバカぁ?→興奮』
のシステムが完成すると、どこぞの犬と一緒で罵られるだけで興奮するようになってしまう。
単に罵倒されるだけでツンデレだと勝手に解釈してしまうようになるのがいただけない。
ツンデレの正統な後継がクーデレだとすれば、ヤンデレは罵られることに興奮を覚えるシステムを構築してしまった勘違いさんによるネーミングミスだと言えるでしょう。ぶっ壊れた女性が好きなのは構いません。しかし、その壊れた女性が貴方と付き合ううちに心を取り戻す(心って何だよって話にもなりますが、ここは一般的に言われる良い心だと思ってください)のであればヤンデレも成立しますが、付き合ってもぶっ壊れて襲い掛かってくるような人間であれば、それは○○デレと付けるにふさわしくないのではないか。
いわゆる吊り橋効果で、付き合ってる彼女に殺されるかもしれないスリルを恋愛感情と取り違え、○○デレとしてしまっているのではないか。何度も繰り返しますが、ダメ人間を好きになってしまう世話焼きな人も居ますし、人の趣味は様々です。私は格付けをしたいのではなく、ツンデレの定義と、その名簿に名を連ねんとするヤンデレの定義の矛盾を言ってみたかっただけです。
ツンデレってのは、
委員長「雨龍君、今回の地理の模試何点だった?」
オイラ「筆記の代ゼミ模試なら82点だった」
委員長「へぇ。良い点だったから余裕風吹かせてるんだ」
オイラ「そんなこともないが」
委員長「どうせ見下してるんでしょ?感じ悪い!」
オイラ「…I君は84で県内1位らしいよ?」
委員長「バカで悪ぅございました!」
だと思う。実際にあった事です。自分は年内に進学先が決まってたからセンター前に相談を受けたり、入試の結果でお互いに一喜一憂したり。弱さを見せてくれるようになって初めてデレだと。上記のは、まだツンを脱してない。これが真のツンデレだと思う。
現実世界にも稀にツンデレは居るけど、それはやっぱり恋愛シミュと一緒で攻略しなきゃデレてくれない。結局オタにも、有り体に言えば「口説き落とす」という楽しみ方を知ってるんだと思う。萌えオタなのに恋愛だ性だと話が振れると「低俗・愚劣」と決めてかかる人間が居るけど、その矛盾を解消しない限り本当の楽しさには到達できないのではないか。
以上、ツンデレの定義と楽しみ方についての駄文 了