結局のところ、景品表示法をかわす方法というものはなくって、「ある、ある」と喧伝して人を集め、会社として雇って給料(という名の賞金)を渡し、プロじゃない人にはあげませーんっていうということなのかな。だとしたら、出来レースも出来レースじゃん!という話で。
伝統的な「プロ」のかたち
こういう方法は昔からありますよね。賞金があったりはしませんでしたが、ハドソンの高橋名人と同じということでしょう? なにも目新しくないというか。ただ、度を越した金額の賞金を労働の対価として支払った場合、それってどうなの? と法律が睨んでくるし、ウチの契約プロじゃないと賞金は出せないよ! なんていっちゃったら、社会というか、ゲーマーが睨んでいるよね。結局は損、なんじゃないかなと思います。ただ、そんなことを気にしないっていうファンが増え、出来レースがショービジネスになれば、フェアであることを求めるゲーマーなんて客として見てないからおとといきやがれ! っていえるようになるのかもな、とも感じています。ウソばっかり書くゲームメディアは結構稼いでいるそうじゃないですか。そういうメディアを応援したり、よろしくないサイトだと理解できずに利用しちゃう人というものは一定数いるので、そういう人から集金できればいいんだって割り切ってこられると、どうしようもないかもしれない。
どんなものでもお金になればプロになっちゃう
いま、平昌で冬季五輪が行われていますけど、スキーのジャンプなんて元は罰ゲームだし、スケルトンやリュージュだってどう考えたって罰ゲームみたいなものでしょ。氷の上を滑って飛んですること自体、別段実社会になにひとつ役立たない。でも、ファンが出てきて、お金を出しちゃうと、プロ化するんですね。ショーになればいいんです。アメリカなんてその辺うまくて、アイスホッケーなんて大人気競技ですもんね。小石をわざわざ氷の上でどつきあうんですよ。でも、なんだそれ! って思いませんもんね。もはや。厳密に、冷静に見ると滑稽ですが、やっぱり競技として魅力的でとってもおもしろい……。既成事実で法律や現実を捻じ曲げてしまえって人が出てきて、ゲームも同じようになっちゃうんでしょうかね。
プロ化によって、つまんなくなる人もいる
私がそうです。ネットスラングとしてすぐに「学歴は?」と聞くというものがありますよね。論戦になったとき、自分の得意な土俵で勝負する方法ですけど、匿名掲示板なので相手が京大です! っていってきたら、ウソでも「俺、東大」っていえば勝てちゃうっていう、アレです。
ちょっとたとえとしておかしいかもしれませんが、プロ化すると勝敗やら賞金額が大切になると思うんですね。ゴルフやテニスもそうですけど、ツアー賞金いくらっていって、ランキング付けしたりするでしょう。あんな感じで、ゲームの世界でも何か発言したりするには、賞金額や大会優勝経歴が重視されて、市井でゲームが好きだ、楽しんでいるんだっていう人たちは一等、低いところに置かれてしまうと思うんです。
下手なくせにゲームをしている、語っているって話になる。プロゲーマーのAさんのファンたちが、プロでもなんでもないBさんが楽しそうにゲームの話をするのを、「プロでもないくせに」と批判する。そんなギスギスした世界のなにが楽しいのか、と思うわけです。ゲームって、競技性がすべてでもなかったはずでしょ。RPGをすばやくクリアするのが偉い!みたいになっちゃうと、ウロウロするのが悪いことになっちゃう。ゲームの世界なのに効率を大切にすると、勉強や仕事をしろよっていってくる頭の固い年寄りと同じになっちゃう。自由がなくなってしまうわけです。
それでいいんでしょうかね、ほんとうに。
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