一介のオタクからみてAIは敵だろうか
オタクのなかでも仮想現実(VR)にすら恐怖する人はいまだ多いようです。もちろん妙な映像を見せられて、脳内の記憶をひっかきまわし、洗脳されるかも!という恐怖ならわかるんですけど、AIだのVRだのの技術の進歩を受け入れられない人間が、PCやスマホを手に持ってAIを批判しているのはオカシイじゃないですか。不可解というか。それも使うのやめたらどやの? という話で。
長すぎる前段(読まなくても別に……)
近年勃興し、発展著しいAIが、人の世界を終わらせると恐怖する一般ピーポー、そしてそういう世界をSFで散々見てきたはずのオタクがいるのは、突き詰めていえば、彼らが使役される側か、受け身の人間だからではないかと思うのです。私はオタクになりたくって、望んで、学んで、オタクになったクチです。だからか見知らぬ物事、世界に飛び込むことに恐怖心が薄い。一方、受け身で使われる人生を生きた結果、吹き溜まり的に掃き寄せられてオタクになった人、結果的にそういう活動的ではない保守の世界にやってきた一般人は、強制的に人生を変えられてしまうと恐れるのではないでしょうか。AIやロボットに「人生を変えてもらえる、変えられると感じる人間」と、「変えられてしまうと感じる人間」は、根本的に相容れないので、議論は常に平行線でどこまでいっても善悪感情論になるでしょう。
私は前述の通り、オタクの世界ってすばらしい!と思ってオタクになったクチですから、いまの自分を変えることに抵抗が比較的ありません。もしもAIやロボットが我々の仕事や生きがいを奪い、人類を滅ぼそうとしてきたら、自分も全身ロボットに改造し、脳すら機械にして対抗してやろうと思っています。シャレや酔狂ではなく、本気で。改造手術くらい受けますよ。そうした結果、AIのみならず旧人類を圧倒できる能力を持てるなら、持ちます。世間的にはイかれたマッドサイエンティスト扱いでしょうね。汚い奴だの大合唱でしょう。でも、必要で便利ならそうするんです。世の中にはDNAをいじくって、自分に注射している連中もいるので、ロボにするなんてずいぶんかわいい方ですよ。人間のフリした強化人間作りのほうがエゲツないと思いますがね。これも感情論でしょうが。
利便に勝る倫理はあるか
人類は文字だの地図だの数学だのを生み出しました。便利だからです。それを使うも使わないも個々人の勝手。携帯電話にPC、スマホだってそうです。使わないならご自由に。でも、世界はあなたを置いていきますよ、というだけ。すべてを機械化しなければ世界相手に勝負できないようになれば、する。それのどこがおかしいのか。利便に走ることは、本当に悪いことなのか。ロボットに支配されると恐怖しながら、一方でそれに抵するべく人体を機械化することについては否定的で、極端な話、ロボットに生身の人間のまま殺されることが正しいなどという考えは非合理でとても人間らしいですが、これからの時代、要らないものなのかもしれません。
つまりは次の進化には要らない要素で、さながら盲腸のようなもの。ですので、人間らしさを重視する人間は、そのうち消えていく。もちろん、ロボット化して進化の上で失敗して絶滅する可能性もあります。生身の人間であったがゆえに生き残ることもあるかもしれません。でもそれは、進化のうえでの淘汰であって、どちらが勝つかはわからない。恐竜が大型化して、強い奴が正義だ!デカい奴が正義だ!!と闊歩していたところに、隕石が衝突して彼らは食えなくなっちゃった。結果、昆虫や哺乳類が覇者になりましたけど、そんなことはわかりません。わからないから、有利になろうと進化する。その道程が連綿と続いて、過程のなかで敗れる者は絶滅するのです。肉食獣がウジャウジャいる時代に生まれた哺乳類は食べられてオシマイだったかもしれませんが、氷河期の哺乳類は余裕の大繁栄だったかもしれません。恨むなら、生まれる時代を裏め、としかいえない。なので、進化しようとする人間を、よくわからない倫理だ、懐古主義だ、正義感で殺してしまおうというのは、AIに殺されるように仕向けているだけなんですよ。
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