ペンは剣よりも、銃よりも強し
ペンは剣よりも強し。それはもう、圧倒的に。剣は持って歩いていたらバレる。バレれば捕まるし、廃刀令がなくっても、そんな危険人物には誰も近づかない。一方でペンは違う。ペンでも人は傷つけられるし、やろうと思えばやれる。タクティカルペンとかね……。
冗談はさておき、ペンは銃なんかよりずっと強い。銃は使えば捕まるけれど、ペンは使っても捕まらないからだ。「情報筋によれば」という接頭語をつければ、なにをしてもいい。銃や剣は「情報筋」と叫んで使っても、ほぼ確実に捕まる。
ペンは凶器だ。刀で人を斬る快感に溺れてしまう殺人鬼というのがフィクションにはよくいるけれど、ペンだって同じだ。凶器に狂気が宿るんだ。絶対に安全で、しかも正義を振りかざし、時に背徳感を覚えながら承認欲求も満たせて、気に入らない奴を(社会的に)抹殺できる。酔わないはずがない。
元々、「ペンは剣よりも強し」という言葉の意味は、「剣なんかなくても世の中をどうにでもできる」という意味だった。統治者に暴力をやめなさい、そんなことしなくてもいいんだよという意味だったわけだ。なのにいつの間にか意味が改変され、「ジャーナリストは正義」に置き換わった。こうなると、ペンと剣の対立軸になる。そして、ペンは正義、剣は悪と単純化されてしまう。
こっちのほうがずっと危険だ。ペンを持つ者の思考は、すでに変わってしまったようだし、剣を持つ者はいつかペンを握る連中を袈裟に斬ってやろうと歯ぎしりしているはずだから。剣なんかいらない、ペンで十分という、歩み寄りはなぜできないのか。
歩み寄るのは剣を持つ人間ではないかもしれない。より危険なペンを持つ人間ではないか。
いま、ペンを持つ人間の心が問われていると思う。
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